世田谷地区
【親和橋商店会】
親和橋商店会は、昭和32年頃に発足しました。蛇崩川に架かる橋の名前から当会の名称が生まれました。昭和33年の狩野川台風のおりには、蛇崩川が大氾濫を起こし、付近一帯は大変な被害に遭遇しました。時の会長・浜口氏のもと、会員16名ほどで商店会の纏まりに大変な苦労をしたそうです。
度々の氾濫で区にも護岸の設置に大変努力していただきました。後に建設省が入り黯きょう工事を施行し現在のように地上遊歩道など立派な街並みができました。
吉武2代目会長になり、いろいろな事業を行い、会の発展に大変寄与しました。親和橋跡に石標を、また街路灯を新設しました。会員数の少ない当会では、その負担は大きなものでありました。会長はじめ会員の皆様のご努力には感謝の一言です。しかし、省みて維持費が底辺です。会費全体の約50%がかかります。
そして、はからずも平成に入り私の出番となりました。
こつこつと築き上げた我が商店会、規制緩和の一言で会は縮小の一途をたどりだしました。バブル崩壊後は価格破壊「安売り店」などに続き大型店の出店で歯が抜けるように会を去る店が出てきました。共栄共存とはいったいどこへいったのでしょうか。会のメインでありました初代会長の店舗がやむなく閉店ということで、会は崩壊の一途をたどりだした次第です。