世田谷地区
【三軒茶屋商栄会協同組合】
三軒茶屋商栄会協同組合は、大正10年頃、世田谷で初めての商店会として発足しました。昭和30年10月24日より、法人組織協同組合に改変して現在に至っております。
昭和39年、商店街中央の246号線道路がオリンピック道路として拡幅され、永年隆盛を誇ってきた店舗が、立ち退きと移転で減少していき、組織は一時期、壊滅的な打撃を受けました。
昭和52年4月に東急新玉川線の開通により、地下鉄出入口に回遊性は出ましたが、続いて出来た高速3号線と橋脚で、街が道路を挟んで分断され、見通しも悪くなってしまいました。昭和60年代(バブルの頃)道路拡幅等で、空き地にビルが建ち、街の景観も多少良くなったような気がします。
平成12年末に、街路灯を建て替えました。斬新なデザインで明るい街づくりと防犯面を考慮して終夜灯にしました。
三軒茶屋商栄会協同組合の会員の業種は、物品販売店が約60%で、飲食店が約20%、他は金融業、遊技場、サービス業などです。会員の8割は店舗等の所有権者で、そのうち、2代目後継者が50%という現状です。昭和39年からは、生鮮食料品のない街になってしまいました。
街が国道で2分割されているという不利な地域環境下で、会員の連帯感と団結を強めるために、原点に戻り、会員店同士の買い物利用と、イベントに全員参加するシステムの実施、会員の増強、特に最近ビル等にテナント出店している人のほとんどが未加入者なため。この加入促進策に力を入れていきます。
将来的には、販売技術の高度化をさらに勉強し、小売店舗でしかできない緻密なサービスと、各店の店舗内活性化に協力し、明るく楽しい平面的なデパートというイメージの街にしていきたいです。