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最新版 2011.05.10
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商店街

北沢地区
【経堂農大通り商店街振興組合】

  • 商店街の沿革

当商店街は、小田急線経堂駅南口の駅前に位置する商店街である。
昭和23年ごろ、車が通れば店のガラスに泥水が跳ね、石ころが飛び散るような道路だったが、敗戦後3年を経て、経堂駅前を牛耳っていた、よしず張りの露天商(闇市)も整理され、徐々に「復興」へ向け活気が町全体を覆うようになっていく頃のことである。
通りに点在していた約30軒の店の主人らが集い、道路の舗装並びに街路灯の設置を主な目的とし、「商栄会」を発足した。これが現在の「経堂農大通り商店街振興組合」の前身である。
昭和25年、念願であった駅前から商店街の終わりまでの道路舗装が
できあがった。その後、昭和30年に商栄会婦人部と青年部が発足し、昭和35年「農大通り」と命名、正確には「経堂農大通り商栄会」となる。
これは各店舗へのアンケート調査の結果、75%の支持で決定した。その理由はたぶん、商店街を通り抜けその先、世田谷通り沿いに東京農業大学があり、その学生(農大生)たちが通学するので農大通りという名前になったのだろう。
その後、時代と共に商店街の店舗の数も増え、活気を帯び、経堂で一番人通りがあり、元気で活気ある商店街として発展し、にぎわうようになった。

  • 商店街の現状

当商店街には、経堂山福昌寺というお寺があり、戦後間もなく駒沢大学の学生達が日曜学校を開き、盆踊りを習い、やがて毎年夏になると盆踊り大会が行われるようになった。昭和48年に阿波踊りを取り入れた「経堂祭り」が誕生し、現在も多くの人たちに親しまれている。そして、個人商店がほとんどだった商店街にも、昭和56年頃からテナントが出店し始め、段々と商店街の様子も変わってきた。

  • 今後の展望
今後は、ますます後継者不足が生じ、それに伴いテナントの出店数も増えてくると予想され、当商店街を発展させる上で、こうしたテナントの店長達とも話し合いの機会を設け、小田急線複々線事業により平成17年までに新たに生まれ変わる経堂駅と共に、当商店街、並びに経堂の町をどう発展させていくかを真剣に考えなければならないと思う。