北沢地区
【経堂農大通り商店街振興組合】
当商店街は、小田急線経堂駅南口の駅前に位置する商店街である。
昭和23年ごろ、車が通れば店のガラスに泥水が跳ね、石ころが飛び散るような道路だったが、敗戦後3年を経て、経堂駅前を牛耳っていた、よしず張りの露天商(闇市)も整理され、徐々に「復興」へ向け活気が町全体を覆うようになっていく頃のことである。
通りに点在していた約30軒の店の主人らが集い、道路の舗装並びに街路灯の設置を主な目的とし、「商栄会」を発足した。これが現在の「経堂農大通り商店街振興組合」の前身である。
昭和25年、念願であった駅前から商店街の終わりまでの道路舗装が
できあがった。その後、昭和30年に商栄会婦人部と青年部が発足し、昭和35年「農大通り」と命名、正確には「経堂農大通り商栄会」となる。
これは各店舗へのアンケート調査の結果、75%の支持で決定した。その理由はたぶん、商店街を通り抜けその先、世田谷通り沿いに東京農業大学があり、その学生(農大生)たちが通学するので農大通りという名前になったのだろう。
その後、時代と共に商店街の店舗の数も増え、活気を帯び、経堂で一番人通りがあり、元気で活気ある商店街として発展し、にぎわうようになった。
当商店街には、経堂山福昌寺というお寺があり、戦後間もなく駒沢大学の学生達が日曜学校を開き、盆踊りを習い、やがて毎年夏になると盆踊り大会が行われるようになった。昭和48年に阿波踊りを取り入れた「経堂祭り」が誕生し、現在も多くの人たちに親しまれている。そして、個人商店がほとんどだった商店街にも、昭和56年頃からテナントが出店し始め、段々と商店街の様子も変わってきた。