北沢地区
【代沢通り共栄会】
代沢通り共栄会は、下北沢駅より南へ300m、茶沢通りに面して代沢小学校に至るY字形の商店街です。
古老の話によれば、大正12年の震災後、茶沢通りが砂利道で開通した。当時は代沢小学校前に「なんでも屋」と呼ばれた店が1軒あるきりだったそうだ。その後都心で震災を受けた人たちが交通の便の良い当地に移り住んだ。周辺地域に人口が増えるに従がって、日用品・食品を販売する店も増えてきた。
その後、「電灯会」が発足し、運命共同体としての意識が高まり、これが商店会発足の基礎となった。
代沢の地は起伏が多く、特に商店街の有る場所は周辺よりもっとも低地に当たるために大雨の折には度々水が出た。昭和40年代に入って世田谷区内でも最も早く下水道工事が進められた。この時、同時に歩道も整備され、ほぼ現在の街並みができた。
昭和50~60年代まではごく普通の商店街であったが、ここ十数年来‘下北沢=若者の街’と言われるようになって、近接する当商店会でもその影響は濃い。既存の地域密着型店舗は減る一方で、これに代わって若者向けの物品販売店、ミュージック関係、飲食店、大型系列の店舗などが増えている、
下北沢の道路は全般的に道路が狭い。これに拍車をかけるように歩車道に溢れる放置自転車、バイクの多いこと。時には緊急車輌の通行にも支障をきたしている。
現在商店会では、地域の高齢化に考慮して世田谷区の道路整備計画に協力しつつ。歩道のバリアフリー化を進めている。車いすや乳母車が安心して通行し、買い物が楽しめる道路こそ商店街にふさわしいと考えている。
商店街活動は限られた人数の会員で行っているため、新しい事業を進めることは難しい。地域の伝統行事の秋まつり、桜まつり、商店会の子ども縁日など地域との触れ合い行事は今後へ伝えて行きたいと考えている。